ほげほげ

ようやく(仮)が取れたらしい。他愛もないことを書いてみるのです。

弘前藩/盛岡藩 藩境塚

最近、青森の歴史(特に戦国時代〜)について興味のある私ですが、平内町狩場沢野辺地町の間に、弘前藩(津軽氏)と盛岡藩(南部氏)の藩境を示す藩境塚なるものがあるというので、ドライブがてらちょっと行ってみました。

場所をきちんと確認せずにとりあえず藩境塚があるという狩場沢まで。
すぐに見つけられませんでしたので、何か情報がないかと狩場沢駅へ。
1時間に1本あるかないかの電車時刻表。のどかです。

するとちょうどそこに貨物列車が通過。

結局場所がわからなかったですが、恐らく平内と野辺地の境にあるだろうと、ナビの町境を目指して国道を東へ。
するとやはり、本当に平内町狩場沢野辺地町の間(国道4号線 奥州街道を通っていると、青森方面からは野辺地町の看板が、八戸方面からは平内町の看板がある小さな橋の下)にありました。
国道沿いにある駐車帯が目印です。
その駐車帯から海を見下ろすとすぐにそれは見えました。
お互いの藩に二つずつ、計四つの土の山。これが藩境塚。


二本又川という幅1メートル程度の川を挟んで西が弘前藩、東が盛岡藩。



曇り模様だったからかもしれませんが、人が全くいませんでした。
凄く綺麗に整備されているんですが、この存在を知らない人も多いんでしょうかね。
私はここでしばらく海を見てぼーっとしてました。

駐車帯には番所を再現したトイレも。

ここでは盛岡藩から弘前藩への、金属類、綿、麻などの持ち出しを厳しく取り締まっていたたようです。
津軽と南部の文化の違い、言葉の違いの由来を感じるられる、そんな場所でした。

帰りに平内町のホタテ広場へ。
ここの建物も黒石藩(弘前藩支藩)の番所だった位置に立っているようです。
歴史は深いですね。知らないことだらけです。