関ヶ原古戦場
2013/12/15来訪。
先日長久手古戦場を散策し、やはりどうしてもここは抑えておかないといけないと思い行って参りましたよ関ヶ原。
こちらに来て愛知県を脱出(?)するのは初となります。
この日はあいにくの雨…と言いますか、愛知県はまったく雨が降っていなかったのですが関ヶ原に到着した頃にはかなり激しい雨が。。
なんでも関ヶ原、息吹山脈という山脈の尾根にあり寒気団の絶好の通り道だとかなんとか…。愛知県で晴れていても油断なりません(冬は結構雪も降るようです)。
土砂降りでしたが関ヶ原駅の中に篭っていても仕方がないのでまずは駅近くにある歴史民俗資料館へ。関ヶ原の戦いについての説明や戦の際の甲冑や刀、関ヶ原の戦いを表した屏風などの展示がございます。
そしてここの斜め向かいにありますふれあいセンターでイベントが開催されているというので、行ってみました。
関ヶ原ファンの集い、というもので関ヶ原アイドル?のライブやら甲冑劇、あと信長の野望のパッケージ絵などを手がける長野剛さんのトークショーなどが催されておりました。
雨が激しく降り続いておりましたが私は関ヶ原自体を巡りたかったため、長野剛さんの絵画を堪能したくらいで、ふれあいセンターをあとにしました。
(長野さんのナマの絵、すごく迫力がありましたね…写真撮影禁止でしたので写真はございませんが、あれはいいものだ)
ここから関ヶ原古戦場をぐるりと回ったお話となりますが、歴史順に並んでおりません。歩いた順にご紹介いたします。
まず最初に訪れたのは関ヶ原古戦場・決戦地。
続いて石田三成の陣跡、笹尾山。ここから関ヶ原が一望できます。
馬防柵なども復元されております。
決戦前に石田三成は何を思ってここから関ヶ原を眺めていたのでしょうかね。
続いて島津義弘陣跡。
西軍大敗が決定した際に、東軍の敵中突破、いわゆる「島津の退き口」を行った武将ですね。
関ヶ原古戦場・開戦地。
家康率いる東軍の先鋒は福島正則隊と決まっていたのですが、それを無視して井伊直政隊が敵方宇喜多隊に発砲、それに福島隊が怒り、宇喜多隊に向けて一斉射撃をしたところ、と言われているそうです。ここから関ヶ原の戦いが開戦したのですね。
ここから結構森の中?を進みました。
宇喜多秀家陣跡。
岐阜県の銃使用禁止区域。
鳥などがたくさんいるんでしょうかね。この日は雨がすごくて鳥の鳴き声などは聞こえませんでしたが…。
大谷吉継の墓。
石田三成の親友で、三成が家康との戦いを打ち明けたところ、無謀であると反対し続けたのですが、三成これを聞き入れず、覚悟を決めて死に装束で参戦したという義の武将です。
小早川秀秋が陣取る松尾山正面に陣取り、裏切に備え、実際小早川隊が寝返った際にはここから何度となく松尾山まで数倍の勢力のあった小早川隊を押し返し、最後には自刃したのであります。
友人のために命をかけて戦った武将…今の世にそのようなことができる人、いるんでしょうかね…と思いながら松尾山方面を眺めておりました。
山をひた歩いてようやく道路に出ました。
これより中山道の看板。これが街道?という感じに細い道でした。
昔はこれでも超主要道路だったんですよね。
ちょっと関ヶ原の戦いとははずれますが、不破関資料館にも立ち寄ってみました。
壬申の乱の激戦地となった場所ですね。
資料館には和同開珎や陶器などが展示されておりました。
ここにある関所を堺に関東、関西と呼ばれるようになったらしいです。
東首塚と首洗いの井戸。
南無…。
日が暮れてきました。
最後に徳川家康最後陣跡。
この日は雨の中、かなり歩きました。くたくたになりました。
しかし小学校(中学校?)に習った歴史の場所、実際に歩いてみるといろいろ考えさせられますね。学生時代にこのようなところに訪れることが出来ていれば、もう少し歴史の成績も良かったでしょうね(汗)
おまけ:
関ヶ原のマンホール。特に石田三成、徳川家康の家紋がついているなどではないんですね。