ほげほげ

ようやく(仮)が取れたらしい。他愛もないことを書いてみるのです。

長久手古戦場

また日記を書くのを怠っているうちにどんどん蓄積してきているわけですが…(汗)

少しでも進めないと溜まる一方なのでぼちぼち書いていきます。

 

長久手古戦場へ行ってみました。2013/12/8 来訪。

紅葉が見頃…(汗)

Nagakute kosenjou 20131208

 

愛知などの中部地方はかつての戦国時代の激戦区(というのか?)だったというのもあり、古戦場もたくさんございます。

関が原の合戦が行われた関が原が一番有名でございましょうか。

 

1584年、羽柴秀吉陣営と織田信雄徳川家康陣営間で行われた戦いのあった長久手古戦場とその周辺を散策するこことにしました。

長久手の戦い…学生時代の歴史などでは学んだのかどうなのか曖昧ですが、長久手の資料館の情報のよると、関ヶ原よりも実質、ここでの戦が天下分け目の戦いと言える、重要な戦いであったとのこと。

 

名古屋方面からは地下鉄東山線で東側の終点、藤が丘駅まで行ったあと、リニモに乗り換えとなります。

Nagakute kosenjou 20131208

 このリニモSuicamanacaなどのICカードが利用できません。

Wikipediaからすると経営状態がよろしくなく、地下鉄全線IC化が行われた現在も導入ができていないとか。なので、切符を別途購入する必要があります。毎日この路線を経由して名古屋市内に通学通勤する方なんかは定期を二枚持っているんでしょうね。なんか、不便…

 

などと考えていとすぐに長久手古戦場駅。

 

徒歩数分で古戦場に到着です。

Nagakute kosenjou 20131208

ここにはちょっとした資料館があり、ボランティアガイドの方が古戦場について説明してくださいました。

 

そして、ちょっとこの日は暖かい(と言っても12月ですが)気候でしたので、レンタサイクルを借りてぶらぶらしてみることに。

レンタサイクルも資料館で受け付けて、無料で借りることができます。

Nagakute kosenjou 20131208

さっそく自転車でぶらりと。

 

血の池公園。

 Nagakute kosenjou 20131208

戦の際に血で染まった刀や槍をここで洗ったを言われております…。

今はこんな公園に。

Nagakute kosenjou 20131208

なんでも刀剣って血がつくと切れ味が悪くなるんだとか…。

ちょっと想像しただけで((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

長久手城跡。現在は市役所になっております。

Nagakute kosenjou 20131208

 

景行天皇社。すごく立派な神社でした。

Nagakute kosenjou 20131208 Nagakute kosenjou 20131208

 

御旗山。長久手の戦いの際、最初は色金山というところに陣を取っていた徳川家康ですが、その後ここまで前進し、金色の扇子(旗?)を掲げたところと言われています。

Nagakute kosenjou 20131208 Nagakute kosenjou 20131208

 

さらに山の方へ。

お花も咲いていて、本当に冬なのか?なんか季節感が麻痺してきますw

Nagakute kosenjou 20131208 Nagakute kosenjou 20131208

 

石作神社。ここの神社でさらに凄いものを見ました。

Nagakute kosenjou 20131208 Nagakute kosenjou 20131208

 

なんと、四季桜、だそうです。

Nagakute kosenjou 20131208

まさかこの時期に桜まで咲いているとは。。

四季桜というくらいなので年中咲くのですかね?

 

 

そして色金山歴史公園。家康が長久手の戦の際に陣を置いた場所です。

Nagakute kosenjou 20131208

家康が腰掛けたと言われる石などもあります

(写真うまく撮れてませんでしたので壁板でw)。

Nagakute kosenjou 20131208

 

ここから見る長久手の景色もなかなかのものでした。

Nagakute kosenjou 20131208

 

Nagakute kosenjou 20131208

 

色金山の近くにあります安昌寺。 長久手の戦いの後、ここの雲仙和尚が、敵味方関係なしに多数の戦死者を供養したとのこと。

Nagakute kosenjou 20131208

供養した首塚がこの近くの町中にあります。

Nagakute kosenjou 20131208

当時戦をしている武士達も大変だったでしょうが、このように戦の後その地に住んでいる方々の苦労も相当なものがあったでしょうね。。